マリナデルレイのイルミネーションコンテストに参加して

    2002年12月29日

上出裕司
松村正明
◎佐々木俊治

 
 
  2001年東京湾イルミネーションコンテスト
に出場し運良く優勝しマリナデルレイのイルミネションコンテストの審査員に指名され1年先とたかをくくっていましたが、あっという間に1年が経過し11月になって先方との連絡に会長、森さん、木村さん、高橋さんに大変お手数をおかけしました。
我々も2名ではなく3名(上出、松村、佐々木)で行くことにしたので同便の1名分の航空券を取るのに苦労しました。

  以前ロスには2度ほど行ったことはありましたが、仕事なのでマリナデルレイは初めての訪問地でした。飛行機が7時間50分でロスに到着あまりの早さにびっくりしました。アメリカではレンタカーを借りないと動きが取れないので東京で日本車を予約(ハーツ)し、お陰で現地では直ぐ車を借りることができました。日本と逆ハンドルなので初めは注意が必要です。レンタカー会社のゲートを出て大体の感で北西へ向かうつもりが、道を間違えて空港の中に紛れ込み脱出するのに一苦労でした。再びハーツの事務所に戻り地図を見直し再出発というハプニングがありました。今度は間違いなく目的のマリナデルレイのマリナビーチマリオットホテルに約20分で無事到着しました。時差17時間なのでホテルで一寝入りしスーパーマケット(車で7〜8分)でビール、趣向品を購入し、やっと夕方4時頃ノーマさんと連絡が取れ、6時半頃ホテルロビーで会うことにしました。しかし7時を過ぎても現れず心配しましたが、やっと面談できました。ノーマさんは不動産業を営み非常に忙しい方で、我々との打ち合わせも14日14時に公園のホールに役員が集まるので来てほしい、皆に紹介する。終了後、ノーマさんの船に乗りイルミネーションの採点をする。翌15日11時より優勝者の発表し午後2時には終了するとのことでした。このあと会があるので失礼するとのことであった。もう少し詳細を聞きたかったのですがやむをえず3人で食事を取り1日目は終わりました。ホテルの直ぐ側においしいシーフードレストラン、テイクアウトのピッザ屋、中華料理屋、があります。  

  13日は1日暇なのでユニバーサルスタジオ観光にしました。途中道の迷いましたが無事到着。早くからオープンしていると思い8時に車でホテルを出発しましたが、10時から1部がオープン大半は11時からでした。場内はアルコール禁止なので昼食は場外で取り午後からは再入場です。5時半まで居て帰りにハリウッド通りのイルミネーションを見学してホテルに帰りました。夕食はホテルのレストランで牛肉を含め3人前注文したところ大食漢が居るにもかかわらず、半分以上残ってしまい今後は3人で2人前にすることにした。

 翌朝午前中時間があるので、サンタモニカの3rdストリートをホテルに紹介されたので、早速行くことにした。丁度土曜日だったので人通りも多く、食料品(主に野菜)の屋台が並び、ストリートパホーマンスが見られ楽しい半日を過ごしました。 ホテルに戻り正装して指定の公園に行くと駐車場のガードマンがイルミネーションのジャッジを確認して入れてくれました。

  公園内が広く、やっと会場を探して行くと知った人は全くおらず、事情を説明して自己紹介をして回ったが、通訳係のマカーシーさんは3時頃、ノーマンさんは忙しく携帯電話片手に4時頃に現れました。その間食べ物はカナッペ程度で、シャンパンとワインが振る舞われました。この会合はイルミネーション関係の役員、報道関係者が集まり最終打ち合わせをする会で皆が集まったのは5時頃でした。大分お酒が回り調子良くなっていましたが、コモドアー(ヨットクラブの会長)が数多くいるので聞いてみたところ、マリナデルレイには5つののヨットクラブがありそれぞれのコモドアーがいることが判りました。この間各コモドアーとバージの交換などをしておりました。

 



カリフォルニアヨットクラブのコモドアー(会長)とバージの交換。彼女は撮影前に突然現れて
撮影後直ぐに消えてしまった。よって名前は不明。

 


ノーマさん、副会長、との記念撮影
 

 

 

なかでもカリフォルニア・ヨットクラブが大きく次がサンタモニカ・ウインドジャマーズ・ヨットクラブであることも判りました。

サンタモニカウインドジャ−マーズヨットクラブの会長ワーレン ホックス氏とのバージ交換。

先方のバージは翌日頂いたのでTYCオーナーズルームに掲げてあります。

Santa Monica Windjammers Yacht Club Commodore 2002 Mr. Warren Fox

 

 
 


写真を撮りそれぞれの船に乗船しましたが、ノーマさんの船は68ftの大型船で既に40名程度の客が乗り込み宴会の真最中で乗ったとたんに大歓迎でした。

船のスタンの部分に審査員の椅子が用意され早速シャンパンとおいしいカナッペ、チーズが振る舞われその上ノーマさんの心使いでお寿司、カリホルニア巻きもで出てきました。色々な方が挨拶に来られ和田さんが作って頂いた名詞がどんどんなくなりました。

 

 
 
前会長マッカーシーさんと一緒に


事務局長ノーマさんの船でノーマさんと共に記念撮影

 

 
 

 ノーマさんから採点表が渡されましたが、その内容は、テーマ、音楽、動き、の3要素でそれぞれ40,40,20の採点基準がありました。この中で音楽というのがよく分からず聞いて見ましたところ音楽バンドが乗っているとのことでした。ブラスバンド、ロックバンド、ハワイアンバンド、コーラス、CD等様々で採点は非常にむつかしいものでした。約40艇が2週してコンテストは終わりました。

 

 
 
NO1

 


NO2
 
 
NO3

 


NO4

 
  上記4枚の写真は上位に入賞した船のイルミネーション

 

 
 

宴会はまだまだ続き10時頃までやっていたと思います。我々も酔っているのでマカーシーさんの友人が我々のレンタカーを運転して次なるカリホルニアヨットクラブのレストランに案内され二次会が始まりました。ヨットクラブのレストランは満席で、色々な方が挨拶に来られるので誰が誰だか判らず握手の連続でした。12時過ぎ次ぎはホテルで飲むことになり1時半頃まで飲み続けてしまいました。

  翌日15日11時カリホルニアヨットクラブに集合とのことでホテルから徒歩で10分、10時半頃クラブへ行ったところガードマンが居て会員以外は入れないとのこと、昨日の審査員であることを説明しやっと中に入れてもらいました。 クラブ内では既にシャンパンとワインがフリードリンクでブランチパーティーといっておりました。我々は朝食を取って行ったので飲むだけになりましたが、11時30分頃より賞品授与が始まりました。ヨットのイルミネーションだけかと思いましたら、ビルのイルミナーション、家のイルミンエション等の表彰もあり、最後にヨットの表彰があり、会場は相当興奮しておりました。優勝者はNo3の女性のヨットグループでした。日本のイルミネーションの審査員になると言うこともあり、我々も壇上に呼び出され拍手と写真の洗礼を浴びました。終了後、ノーマさんに挨拶したところ仕事が忙しく何も案内できなっかったことのお詫びがありました。前回優勝者のワイズバーグさんが翌日マリナデルレイの湾内をクルーズに招待するとのことで午前中お願いすることにしました。

  16日9時にホテルに迎えに来て頂き早速乗船50名乗りの観光船で、ワイン、リブステーキ付きの湾内クルーズは楽しいものでした。驚いたのは、付け合わせのサラダの野菜(人参、ブロコリー、カリグラワー、等)総て生でした。

 

 
 


前回の優勝者で日本に審査員で来られた。
ワイズバーグ夫人の船内でリブステーキパーティー。
ご本人も、ご主人も、2人の息子も弁護士で娘も弁護士志望の大学生。

 

 
 

船の運転は殆ど我々にさせて頂きこれも良い思い出になりました。当日湾外は10mの高波で外に出られませんでしたが、彼女は他に150人乗りの船も持っていて、1月から5月はホエールウオチングもやるそうです。湾内は非常に広く6,500艇以上停泊していて、係留料は42ftでイニシアル$2,000、で月$300だそうで日本の約1/3でした。クラブのレストランも本格的でホテルのレストラン並で毎日夜遅くまで営業しているとのことです。

  湾内には「あざらし」がたむろしており、バースの上で寝そべっており誠にのどかな情景でした。

 

 
 
バースの上でノンビリ「あざらし」親子

 

 
 

マリーナの大きさも規模も違うので夢の島とは比較しようがありませんが、老人が多く町が一つのコミュニティを作っていて地上に住んでいる人、船に住んでいる人、皆友達のようになっていて、始終皆でパーティを開催し、とても楽しそうでした。船が大きいのもそのためだと思います。50ft以上の船はざらで船の中で優雅に生活している様は日本では考えられないものだと思いました。午後は土産物を買うので、ベニスビーチ(現地ではマリナデルレイより有名)に行き買い物をして最後の夜を楽しみました。

  17日の帰国日は空港には早く行くように言われていたので、9時にホテルを出発10時前にはレンタカーを返して空港に行きましたが、荷物の検査が厳しく我々から鍵を出させて彼らだけで荷物をチェックし、せっかくきちんと入れた荷物がめちゃくちゃになりましたが文句を言っても取り合ってくれませんでした。 年末近くで飛行機も混み合っておりましが、向かい風が強く飛行時間が12時間掛かりましたが無事成田に到着しました。

  要望として年末押し迫ってのロス行きでしたが、帰ってから日本のイルミネーションの用意をしたため仕事上周りからけんけん諤々のクレームが付きました。こんごは時期の問題も検討に入れてください。この報告書が今後の参考になれば幸甚です。最後に関係者の方には一方ならぬお世話になりました。紙面を借りて御礼申し上げます。